家族への思い、死の覚悟… 小山軍医長の手紙公開へ【2008.06.05】(琉球新報)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080605-00000017-ryu-oki

<戦地からの手紙>旧海軍司令部壕に寄贈された小山軍医長の手紙
 沖縄戦当時、海軍沖縄方面根拠地隊の軍医長で、海軍司令部壕で自決した小山正信少佐が沖縄などの戦地から家族に送った手紙がこのほど見つかり、長男の正善さん(63)=広島県=が、旧海軍司令部壕(豊見城市)に寄贈した。
 手紙には家族を思いやる言葉が多い一方、「今度は絶対的に白木の箱に入るものと覚悟している」(1944年12月)「最後の決別の辞を送る事になった」(45年2月)など、刻々と厳しくなる戦況と死への覚悟もつづられている。小山軍医長はラバウルや横須賀などでの勤務を経て、44年8月に沖縄に着任。45年6月13日、大田実司令官の自決後、5人の幕僚と共に同壕内で自決した。
 寄贈されたのは、小山軍医長が43年6月から45年3月に、妻幸枝さん(88)あてに送った手紙やはがき19通。沖縄の桜や草花が同封されたものもあった。
 当時1、2歳だった長女橋本恵美子さん(64)の成長を思いやり「よく御飯を食べるし又よくお喋(しゃべ)りするとの事で小生の目の前にその様子が浮かんで来るようだ」(44年12月)など、子煩悩な姿が浮かび上がる。幸枝さんのおなかにいた正善さんの性別などを気にする手紙も多い。
 当初は、自身の近況を「当地はサツマイモ、豚、魚の産地なので、小生もブクブク肥えて十七貫近くなった」(45年1月)とつづり、前線の緊張感を感じさせない文面もあった。だが、3月以降は「ぶっ倒れるまで酒を飲むつもりだ」「敵の来るのを待つ身を想像してみてくれ。進撃なら愉快だが来るのを待つのは嫌だね」など、自虐的な表現や恐怖を表す言葉も増え、米軍の侵攻が迫り来る様子がうかがえる。
 旧海軍司令部壕では寄贈された手紙を6月中旬から展示する予定。平良吉彦事業所長は「戦地からの手紙は平和を考える貴重な資料だ」と話している。(座波幸代)