「集団自決」に新証言 玉城糸数の洞窟で9人犠牲【2008.06.18】(琉球新報)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080618-00000013-ryu-oki

 【南城】南城市玉城の糸数で沖縄戦当時、地域住民が避難していた自然洞窟(どうくつ)「ウマックェーアブ」で「集団自決」(強制集団死)が起き、乳幼児4人を含む男女9人が犠牲になっていたことが、糸数字誌編さん作業の過程で明らかになった。生存者が聞き取り調査に初めて証言した。
 洞窟内では「集団自決」をめぐり、住民意見が賛否に分かれ、実行前に住民の一部が洞窟を出て命を取り留めた。沖縄戦研究者や南城市史編さんを進める市教育委員会によると、糸数での「集団自決」が明らかになるのは初めて。聞き取り調査をした元玉城村長の知念信夫さん(74)は17日、市立玉城小学校で証言内容を児童に伝え、平和の尊さを訴えた。
 知念さんは字誌編さん委員長で、今年3月に公民館で洞窟の生存者6人から聞き取り調査を行った。
 聞き取り証言などによると「集団自決」は1945年6月3日、米軍が投降を呼び掛けて洞窟入り口に迫った際に起きた。
 洞窟内には地域住民ら36人がいたが「どうせ死ぬなら太陽を見て死のう」という住民と「捕虜になれば女は辱められて殺され、男は重労働をさせられて殺される。ガマの中で『自決』した方がいい」と言う住民に分かれた。家族でも意見が分かれ、親同士が子どもを引っ張り合う事態も起きたという。
 「集団自決」は洞窟にいた女性が沖縄人の防衛隊員からあらかじめ譲り受けていた手榴弾2発が使われ、乳幼児3人を含む一家族のほか、親子1組などが円陣を組んで手榴弾を爆破させて「集団自決」を行い、9人が即死した。
 命を取り留めた27人は米軍に収容された。犠牲者の遺骨は同年12月に収集された。
 当時小学5年生として洞窟内にいた知念さんの妻アキさん(74)は「自分たちが壕から出ようとしているときに、後ろの方で(爆発)音がしたのを聞いた。自決だと分かった」と話す。
 知念さんは「40年ほど前から何度も聞き取り調査を試みてきたが、ようやく遺族数人の承諾が得られ、証言してもらった。糸数で集団自決が起きていたことを風化させたくなかったので、調査ができてよかった」と話している。
 30年以上、糸数地域での沖縄戦体験の聞き取り調査を行ってきた沖縄国際大学の石原昌家教授は「糸数には何度も通い詰めたが、初めて聞いた。教科書検定問題など沖縄戦をねつ造しようとする国の動きに対する沖縄戦体験者の強い危機感の表れではないか」と指摘した。