戦争を風化させないで 引揚港田辺資料室(和歌山)【2008.07.31】(紀伊民報)

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 田辺市湊の市民総合センター3階にある「引揚港田辺資料室」には、「田辺港」(現文里港)が戦後の引き揚げ港だったことを後世に伝える貴重な資料を展示しているが、戦争体験者の高齢化とともに入室者数は低迷している。戦後63年。田辺市教委文化振興課は「展示品はどれも、戦争や引き揚げを体験した人の苦労をしのばせる大切なもの」と話し、夏休み中の多くの利用を呼び掛けている。
 田辺港は敗戦後、近畿地方では京都府舞鶴市舞鶴港とともに引き揚げ港に指定された。1946年2月から約4カ月間、南方から引き揚げた兵士や民間人約22万人を受け入れた。
 引揚港田辺資料室は、引き揚げ港指定50周年を前に、95年に開設した。同課によると入室者は少なく、近年では05年度135人、06年度72人、07年度119人。本年度は4月から6月末までで20人にとどまっている。
 入室者の多くが戦時、戦後を懐かしんで訪れる高齢者。終戦記念日がある8月は特に多くなる傾向という。しかし、戦争体験者は年々減ってきており、田辺港が引き揚げ港だったという事実を知る人も少なくなっている。
 資料室ではガラスケースの中に、兵士や引き揚げ者が持っていた軍刀、軍隊手帳、かばん、水筒、「引揚証明書」などを展示している。南方での生活の中で引き揚げ者が手作りしたという、ヤシの実で作ったたばこ入れや、木彫りのマージャン牌(ぱい)もある。写真パネルや軍服、雨がっぱ、日の丸の寄せ書き、引き揚げ船の模型なども飾っており、ビデオも視聴できる。
 引き揚げ関連以外にも、戦争にかかわる品物が寄贈されることがあり、今年1月には、西南戦争(1877年)で祖父が着ていたという軍服が地元の人から寄贈された。現在、約150点の寄贈品を収蔵しているが、資料室は18平方メートルと狭く、展示しているのは約50点にとどまっている。
 田辺市は旧紀南病院跡地(同市湊)に、図書館や歴史民俗資料館などがある複合文化施設の建設を予定している。歴史民俗資料館の中に引揚港田辺資料室の移設も計画されており、同課は「移設が実現すれば、より広く展示スペースを設けることができる」と話す。
 インドネシアからの引き揚げ体験者、脇村英一さん(87)=田辺市稲成町=は、引揚港田辺資料室ができた時、戦時中に使っていたはし箱、飯ごうなどを寄贈した。脇村さんは「展示品を見てくれた人たちが、戦争を二度と繰り返さないという気持ちになってほしい」と話している。