沖縄慰霊の日 首相ら参列し黙とう 知事が平和宣言【2008.06.23】(毎日新聞)

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 沖縄は23日、沖縄の全戦没者を慰める「慰霊の日」を迎えた。1945年のこの日、沖縄で3カ月近く続いた組織的戦闘が終結した。日本軍と住民が追いつめられた沖縄本島南端、糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園では、県主催の「沖縄全戦没者追悼式」が営まれ、福田康夫首相や遺族ら約5670人が参列、正午に黙とうした。
 福田首相はあいさつで、沖縄の基地問題に触れ「米軍施設の集中が今なお県民の大きな負担になっている。負担の軽減に向け、地元の切実な声に耳を傾けながら全力で取り組む」と述べた。しかし、政府と沖縄で建設場所を巡って交渉が続く米軍普天間飛行場移設や、嘉手納基地以南の施設返還など米軍再編については具体的には言及しなかった。
 仲井真弘多(なかいまひろかず)知事はこれに先立つ平和宣言で「基地の整理縮小や日米地位協定の見直し、事件・事故の防止を日米両政府に強く訴える」と述べ、基地負担軽減と米兵犯罪対策の必要性を強調した。
 公園内にある犠牲者名を刻んだ平和の礎(いしじ)には今年、128人(うち韓国人13人、米国人1人)の名前が追加刻銘された。総刻銘者数は24万734人となった。【三森輝久】
 ◇福田康夫首相のあいさつ(要旨)
 戦没者の方々の御霊(みたま)に対し、謹んで哀悼の誠を捧(ささ)げる。でいごの花が咲くころ、沖縄の皆様が複雑な思いを持たれると伺った。ちょうど沖縄戦が始まるころに花開き、戦いの終息のころ、失われた尊い命のように花を散らすからだそうだ。
 沖縄戦では、20万人もの方々の命が奪われた。多くの夢や希望を抱きながら倒れた若者たち。子どもの無事を願いつつ命を落とした父や母たち。
 私は、無念にも散って行かれた人々の思いを、今の政治に反映する責務を負っている。戦没者の方々のその思いを、平和の尊さの礎として、大切に引き継いでいく。
 米軍施設の集中が今なお県民の大きな負担となっている。県民の負担の軽減に向け、地元の切実な声によく耳を傾けながら、全力を挙げて取り組んでいく。
 今日の日本の平和と繁栄は、戦没者尊い犠牲の上に築かれている。我が国は再び戦争の惨禍を繰り返してはならない。世界の平和と発展に貢献する「平和協力国家」として、国際社会において責任ある役割を果たしていく。再び美しいでいごの花を、つらい記憶を呼び起こす花にはしない。
 ◇仲井真弘多知事の平和宣言(要旨)
 私たち沖縄県民は先の大戦において筆舌に尽くしがたい極限状況の中で、戦争の不条理と残酷さを身をもって体験した。この悲惨な体験を通じて、私たちは平和がいかに尊いものであるかという人類普遍の教訓を学んだ。戦争の記憶を正しく伝えること、二度と戦争を起こしてはならないと確認し続けること、この信条こそが沖縄の原点だ。
 戦後、私たちは懸命に復興に取り組み、県民のたゆみない努力と政府の支援により、各分野で着実な実績を上げるまでになった。
 その一方、依然として広大な米軍基地が集中し、基地から派生する事件や事故、騒音に悩まされ続け、県民が納得できない負担を今なお強いられている。基地の整理縮小や日米地位協定の見直し、事件・事故の防止などを県民一丸となって日米両政府に強く訴える。
 慰霊の日にあたり、全戦没者の御霊(みたま)に心から哀悼の誠をささげる。沖縄戦の実相と教訓を胸に刻み、沖縄、日本、そして世界の人々が安心して暮らせる平和な社会の実現を目指して、県民の英知を結集し、ここ沖縄の地で力強くまい進することを宣言する。
 ◇沖縄戦
 1945年3月26日、慶良間(けらま)列島上陸に続いて4月1日に米軍が本島に上陸。米軍54万8000人に対し、日本軍は現地召集の防衛隊、学徒隊含め10万2000人。日本軍が米軍の本土侵攻を遅らせるため持久戦をとり、数多くの住民が巻き込まれた。この過程で日本軍のスパイ視による虐殺や壕(ごう)追い出し、集団自決などが起こった。犠牲者は日本軍9万4136人(軍属含む)▽米軍1万2520人▽県民9万4000人。県民の死者数は推計で、12万〜16万人とする見方もある。