<沖縄戦>元軍曹が手記出版 負傷し洞窟に3カ月【2008.06.22】(毎日新聞)

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沖縄戦で負傷、破傷風… 見捨てられ洞窟で死待つ−−日比野勝廣さん(84)
 第二次大戦末期の沖縄戦に従軍し、重傷を負いながら生き延びた旧陸軍軍曹、日比野勝廣さん(84)=北名古屋市弥勒寺=が手記「今なお、屍(しかばね)とともに生きる」を自費出版した。日比野さんが戦後書きためた記録を、長女裕子さん(59)ら姉妹4人が感想や思いを書き加えて編集した。裕子さんは「修学旅行で沖縄を巡る高校生も増えた。若い世代に手にとってもらいたい」と話す。【山田一晶】
 日比野さんが昭和30年代に書いた手記の原稿が昨年夏、家の中で見つかったのが出版のきっかけ。原稿には何度も推敲(すいこう)を重ねたペンの跡が残る。タイトルは、身動きのできない日比野さんの傍らで相次いで死んでいった戦友たちへの慰霊への思いを込めた。
 日比野さんは43年に陸軍に入った。歩兵として中国大陸で転戦した後、44年8月に沖縄防衛のため那覇市に入り、45年4月1日の米軍上陸を迎えた。日比野さんの部隊は有数の激戦地・嘉数高地の陣地で米軍を迎撃。爆雷を抱えた部下の兵が米戦車の下に飛び込むなどして、1日に18両の戦車を撃破したこともあったという。
 日比野さんが負傷したのは5月2日。砲弾の破片を受けて右腕などに重傷を負った。ともに戦った部下は全員死亡。傷口から破傷風に感染し、野戦病院のある自然洞窟(どうくつ)「糸数アブチラガマ」(南城市)にたどり着いたが、猛攻を受けて南部に後退する友軍に見捨てられた。洞窟内に当初150人いた負傷兵も最後は9人に。日本が無条件降伏した1週間後の8月22日、捜索に来た米軍に投降した。生き延びた兵たちも相次いで亡くなり、当時を語れるのは日比野さんだけになったという。
 死臭がただよう真っ暗な洞窟で「こんなところで自分が死につつあることは家族も思いもよらないだろう、と寂しかった」と日比野さんは振り返る。同居する裕子さんは「今でも父は部屋を真っ暗にすると寝られない。当時、必死で水を求めたからか、水道の水を出しっぱなしにして音を聞いていることもある」と話していた。
 A5判142ページで1500円。問い合わせは出版元の「夢企画 大地」(052・712・0706=ファクス兼用)。