東京・重慶・戦禍の空の下:大空襲・大爆撃訴訟を追う/6 /東京【2008.03.16】(毎日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080316-00000133-mailo-l13

 ◆叫び
 ◇「重慶東京裁判で不問−−心の傷、日中共
 厳寒の東京地裁前に、青地に白抜きの横断幕が掲げられた。中国語で「日本政府に謝罪と賠償を求める」の文字が躍る。横断幕を手にするのは中国・四川省から来日した重慶大爆撃訴訟の原告団一行だった。昨年1月24日の口頭弁論。来日は法廷で意見陳述するのが目的だった。
 重慶爆撃をご存じの方はどの程度いるのだろうか。一般には忘れられ、また知られていないのが現状だ。重慶爆撃とは、旧日本軍による四川省重慶市を中心にした一連の無差別爆撃で、多くの非戦闘員が死傷した爆撃だった。
 忘れられた理由の一つに極東国際軍事裁判東京裁判)で重慶大爆撃が裁かれなかったことが挙げられる。連合国側は東京大空襲をはじめとする日本国内の無差別爆撃への反論を恐れたからと考えられている。
 しかし東京大空襲の遺族らは忘れていなかった。重慶大爆撃訴訟の法廷には、東京大空襲訴訟の原告団メンバーが毎回、傍聴に詰めかける。空爆による民間被害者に対し、日本政府は一切補償してこなかった。両国の原告はいわば共同の被害者。中国人の原告らが来日し、意見陳述した日もそうだった。原告らの訴えを日本人の原告団らは見守った。両空爆訴訟の見逃せない側面がうかがえた。
 日中戦争当時、旧日本軍が抗日勢力の拠点だった臨時首都・重慶を中心に繰り返した爆撃で、中国人被害者や遺族40人が、日本政府に1人当たり1000万円(総額4億円)の損害賠償と謝罪を求め、東京地裁に提訴したのは06年3月。
 訴状によると、旧日本軍は1938年から43年の5年半にわたり、重慶市を中心に200回を超える爆撃を繰り返し、推定約6万人の市民を死傷させた。一連の空爆は軍事目標を対象としない無差別爆撃で、国際法に違反するとしている。
 提訴以来、口頭弁論は5回開かれ、原告らの主張に対し、国は請求棄却を求め、事実の認否をせず、全面的に対立している。
 現地を訪ね、原告らの訴えを聞いて回った。梁国民さん(79)=重慶市沙坪〓区=もその一人。40年8月の爆撃当時、4人家族で梁さんは11歳。直撃弾を受け、父母と兄は即死。梁さんは一命を取り留めた。
 「自宅は跡形もなく父母らの遺体も見つからなかった。嫁ぎ先の姉を頼り、生きていくために豆腐売りの仕事に就きました」。梁さんは必死に嗚咽(おえつ)をこらえていた。
 大空襲の原告同様、深い心の傷に耐えてきた中国人原告らの「声」を現地から届けたい。【沢田猛】=つづく