<東京大空襲>集団提訴から1年…新たに20人が原告に【2008.03.10】(毎日新聞)

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 1945年3月10日の東京大空襲から63年。空襲被害者が国に損害賠償を求める初の集団提訴から1年を迎え、新たに20人の被害者、遺族が2次提訴で原告に加わる。東京都慰霊堂墨田区横網)に眠る身元不明の約10万柱の遺骨。形見や写真を埋葬するしかなかった遺族は今も「あの中にきっと家族の遺骨がある」との思いを抱き、国の調査を求めている。
 原告になった千葉市稲毛区の古家(こいえ)幾久江さん(74)は11歳の時、大空襲で母ます志さん(当時47歳)と姉(当時21歳)と長兄(当時19歳)を失った。
 空襲の3日後、疎開先の山梨県から駆けつけた江東区北砂の我が家には焼夷(しょうい)弾による直径20メートルの大きな穴があいていた。父が結核で亡くなり、残された家族が暮らした小さな木造の家は跡形もなかった。
 穴の脇に半分土に埋まった銀色のおたまを見つけた。煮物が得意だった母の愛用の品。家族3人の遺体は最後まで見つからず、大切な遺品になった。
 31歳でタクシー運転手の夫と結婚し、授かった長女亜紀ちゃんは1歳半で日本脳炎にかかり亡くなった。夫も交通事故の輸血でC型肝炎になり、00年に肝臓がんで先立つ。家族は次女由香さん(41)だけだ。10年前、結婚が決まった由香さんに「何があっても子供と離れないで」と伝えた。家族と引き裂かれた自分と同じような経験だけは、してほしくなかった。
 古家さんは、ベッドの傍らにいつもおたまを置いていた。母がそばにいてくれるような気がした。つらいことがあると、それを見つめ語りかけた。由香さんの結婚後、おたまを使って煮物を作るようになった。「煮干しのだしがよく効いた母の味に近づいた気がする」と感じる。
 それでも遺骨への思いは強い。国は「遺骨から身元を確認するのは難しい」として調査をする予定はない。古家さんは犠牲になった家族への謝罪、そして遺骨の調査をしてほしいと願い、2次提訴への参加を決めた。「もし骨が見つかれば、骨つぼをずっと抱きしめていたい」【杉本修作】
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