お前が言うな!渡辺恒雄〜読売新聞の戦争責任を問う【2006.3.25】

http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/50472331.html

 ところで、読売新聞社は戦前・戦中に何をやっていたのか? その戦争責任を鋭く突くブログ記事を紹介致します。

 ブログ記事は読売の特集を引用しつつ次のように語ります。

 特集での、二人の専門家へのインタビューも痛烈です。
統制甘受した?共犯関係? 佐藤卓己(京大大学院助教授)

彼〔情報局の情報官・鈴木庫三〕の残した日記などと実際の状況を比べてみた結果、言論弾圧といわれた事例の多くが、戦後、メディア側の責任逃れのために創作されたということが明らかになりました。「うちにも少しでもたくさんの紙をくれ」と言う形で、情報局に接待攻勢をかけていたのは、大出版社であり、大新聞社でした。確かに統制する側とされる側があったとしても、そこには共犯関係以上のものがあったのです。
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地方紙の一県一紙体制が、あんなにスムーズにできたのは、業界にも都合が良かったからです。地方紙は、全国紙の進出を抑えて地盤を固めたかった。全国紙は効率よく部数を拡大したかった。〔中略〕統廃合でつぶされた新聞社は、究極のところを言えば、紙の配給が原因でした。

発表のウソ分かっていた 山本武利(早稲田大学教授)

新聞社は「VOAボイス・オブ・アメリカ)」など海外の短波放送をひそかに聞いていた。しかし、これを紙面に反映させることはしていない。
――大本営発表はウソだとわかっていながらそのまま報道していた。
山本 そこは大変責任が重いところだ。確かに弾圧で自殺に追い込まれた人も少しはいた。しかし、3大紙は力があった。協力すれば抵抗できたはずだ。
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ドイツ、フランスではファシズムに協力したメディア人は障害、メディア界から追放された。これに比べ、日本のメディアの幹部は、戦犯容疑者として収監されたり、公職追放されたりしたが、復帰は早かった。

マスコミの大袈裟な決まり文句でいえば、言論弾圧で仕方なく軍部に協力したという「神話の崩壊」といえるでしょう。
グラフでみると当時は三大紙といっても「二強」朝日・毎日と「一弱」読売だったことが分かります。朝日と毎日、特にナベツネ靖国批判で意気投合していた朝日の若宮みたいな輩は、この問題提起にどう答えるのでしょうか。

 読売新聞をはじめ主要な新聞社は侵略戦争の片棒をかついだが、それは言論統制で強いられたというより部数を伸ばし市場の独占をはかるチャンスでありました。そして戦後GHQはそれらを一社も廃業させず社号(朝日、読売など)も継続使用させ、戦争責任は問われませんでした。

新聞の戦争責任を認めたのは一歩前進ですが、ではその責任をどうとるのか。今の政府に戦争責任があるというなら、より当時との継続性の強い新聞がまず先にけじめをつけてみろと。ナベツネも政治に口出しする前に業界人としてやるべきことがあるだろ! 即刻廃刊しろとまではいいませんが(笑)
たとえば靖国神社遊就館に難癖をつけるのなら、率先して日本新聞博物館の展示をすべて新聞の戦争責任を謝罪・反省する内容に全面改装してみろといいたいですね。

戦時中も戦後も新聞の体質は変わっていない、ということはたびたび指摘されてきました。例えば以前も載せた(ナベツネが死ぬまで書いてやれ)10年前の渡辺恒雄の再販問題をめぐる暴言についての報道もそうです。

 記事はこう締めくくられます。

戦争責任を問われなかったからこそ、今でも新聞による言論統制が可能だと言えるでしょう。そしてそれは、横浜事件西山事件などメディアが被害者とされた事件ばかり喧伝し、メディアの加害責任と現在も継続中の言論統制には沈黙する出版社や学者、作家及びジャーナリストも同罪だということです。

 確かに、イラク戦争ではかなりの報道規制がありますし、いまでも沖縄の辺野古の座り込み基地反対運動や、総連弾圧でうける朝鮮人の被害などについては、殆ど報道されません。
 メディアの戦争責任を問うことは、今のメディアを批判的にみることにつながりますね。今度特集組んでみてもよいかも。
 (梁)