なぜ沖縄戦「集団自決」問題が話題になるか?

 沖縄戦「集団自決」をめぐる問題がずっと話題になっています。

  • 【07/06/28朝日】教科書検定意見撤回、沖縄の全市町村が要求

 http://www.asahi.com/national/update/0628/SEB200706280011.html 2007年06月28日14時11分

 沖縄戦の際に日本軍が住民に集団自決を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、沖縄県内41市町村のすべての議会が28日までに、検定意見の撤回を求める意見書を可決した。県議会も全会一致で可決しており、文部科学省の検定に対し、沖縄全体が「ノー」の意思表示をした形だ。

 今年3月に文科省教科書検定で「自決強制」修正した問題は沖縄で大きな反発を呼んでいます。他にも県議会ではすでに22日に意見書が可決されました。

  • 【07/06/23読売】沖縄県議会が撤回意見書案を可決

 http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/okinawa/news008.htm

  • 【07/06/24朝日】沖縄「死の真相は強制」 県資料館「自決」は使わず

 http://www.asahi.com/national/update/0624/SEB200706240001.html 

 資料館は、「集団死」の経緯と背景について、こう説明している。
 日本軍は、住民と同居し、陣地づくりなどに動員した。住民の口から機密が漏れるのを防ぐため、米軍に投降することを許さなかった。迫りくる米軍を前に「軍民共生共死」の指導方針をとったため、戦場では命令や強制、誘導により親子、親類、知人同士が殺しあう集団死が各地で発生した。その背景には、「天皇のために死ぬ」という国を挙げての軍国主義教育があった。


 また研究者の林博史さんは3月の検定に関して次のようなコメントを寄せています。
http://www32.ocn.ne.jp/~modernh/

日本軍が住民に「米軍に捕まるな」と厳命し「いざという時は自決するように」と事前に手りゅう弾を配ったことは多くの証言がある。集団自決で当日に部隊長が命令を出したかどうかにかかわらず、全体的に見れば集団自決は軍の強制そのもので、これを覆す研究は皆無といえる。国は、一九八〇年代に「日本軍による住民殺害」の記述に「集団自決」を書き加えさせたが、各教科書では、研究成果をふまえて日本軍によって強いられた集団自決であることを書いてきた。それを今回は、日本軍による加害性を教科書から消し去ろうとする政治的検定をおこなった。事実をあいまいにするひどい検定だ。(共同通信配信2007.3.31)


 このように研究では沖縄戦の「集団自決」に日本軍が関与していたのは明らかになっています。それにもかかわらず、なぜ国や政治家はやっきになって沖縄戦当時の日本軍と「集団自決」の関与を否定したいようです。

http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-24726-storytopic-3.html


 いったいなぜ沖縄戦が問題になるのか? これを考える上で興味深いのが、SNSのmixiにある「戦後責任・戦争責任コミュニティ」のあるトピックです。

  • 嘉敷島の集団自決 「大尉は自ら十字架背負った」

http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=20002440&comm_id=661670&page=all

 およそ1年前の東京新聞の報道です(すでにリンク切れ)が、なぜこのようなトピがたてられるのか? あるコメントを紹介します。

 沖縄戦という国内における戦争が戦争責任の対象になっているという認識があることを示しているからです。ここでは、戦争責任というのは、戦争遂行のためのに沖縄の住民を犠牲にしたことに対する、国家の責任ということになるのでしょうね。

 戦後直後は日本の住民に対する国家の責任という観点からの責任追及の動きがそれなりにあったのですが(小熊英二『民主と愛国』や吉田裕『日本人の戦争観』を参照)、軍部の一部のみに責任を押しつけることによってうやむやにされてきたと言えるでしょう。しかし、沖縄戦はそのようなロジックで覆い隠すことは難しい。現在でも、基地が集中し、経済的にも苦しい立場に於かれている。そこから、住民と国家の乖離がどうしても立ち現れてくる。

 安倍自民党沖縄戦にこだわる理由はまさにそこです。国家と住民の一致を主張する安倍自民党にとって、国家−軍隊の論理によって住民を犠牲にした沖縄戦の事実は非常に都合が悪いのです。現在の自民党政治が既存の統合(公共事業や補助金をつうじた開発主義的統合)を解体し、それによって格差が拡大しつつあるのですから、なおさらです。
 沖縄戦を戦争責任の問題として捉え直し、国家と住民の関係を問い直すことは大切なことだと思います。


 このコメントが示唆するように、日本政府の認識としては、沖縄戦での「集団自決」はいわゆる殉国死であった、との認識のようです。それを取り扱った論文が岩波の『世界』7月号に載っています。
 この点についてもっと書きたいのですが、時間がないので、後日加筆致します。

 (梁英聖)