ある日の川面


こんにちは。順番が周ってきました。舜です。

訪れてくれた皆さんもおわかりのように、このウェブサイトのタイトルは、「戦後責任」です。
戦後責任って、なんでしょうね?自分自身、日々考えていることで、答えが出ているわけではありません。


今のところ自分なりに咀嚼してみると、
「戦争を起こした者が、戦後放置されてきた、戦争によってもたらされた取り返しのつかない『痛み』に対して、その痛みを和らげるべく、なんらかの応答をすること」
という言い方なんていいんじゃないかな、と思っています。


とくにこのサイトで目を向けようと思っているのは、日本が起こした戦争から続くさまざまな「痛み」です。


友達などにはたまに、「こういう問題って、言ってしまえば、やってもやらなくても、自分たちの普段の生活には関係ないことだと思うんだけど、あえてやるのはなぜ?」と聞かれたりします。
たしかに、そんな気もします。でも、違う気もします。


自分たちの普段の生活が変わらないと思っているのは、私たち自身が、一番安定している場所にたまたま、おさまる事ができているからなんじゃないかな? 一番安定してるんだもん、そりゃ自分は誰の助けもいらないです。でも目の前にそうでない人がいた時にどうするのかと、そして自分もそういう立場になった時にどうするのかと、問われているのが、この問題なんじゃないかと思います。


このサイトで私たちが想像力を働かせてとらえようとしている人々は、戦争で誰かに家族や友達を殺されたり、心の傷を負ったまま今に至る人々だと思います。でもそうした被害者の人も、その直前までは、今の私たちと同じように、安定した場所にいたはずなんです。
自分がこうした立場に立たされたら、「戦争だから、仕方なかった」と、はたして思うんだろうかと。


なぜ、わたしの片腕は、吹き飛ばされてしまったのか。
なぜ、わたしの子どもは、突き刺されて井戸に放り込まれなければならなかったのか。
なぜ、わたしの彼女は目の前で強かんされたうえに、銃弾に仆れならなかったのか。


こういう疑問が、いつまでもいつまでも問い返される気がするんです。
こうした痛みは、世界のいろいろな戦争・紛争で、今も繰り返されている。
でも、今私たちが暮らしているこの国、そして私たちのジジババが起こした事でうまれてしまった痛みなら、今この国に暮らし、彼らの子・孫である、私たちが応えていくべきことなんではないかなと。それが、「戦後責任」ということかな、と思っています。


長くなったけど、読んでくれて、ありがとう。
これからここを訪れてくれた皆さんと一緒に、「戦後責任」とはなにか、もっと考えていくことができたら、嬉しいです(^-^)。
                                  Sengo-Sekinin.com 舜