長崎原爆症訴訟 怒りと落胆…胎内被爆、市場さん不認定【2008.06.24】(毎日新聞)

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 まだ闘いは続くのか−−。原爆症認定・長崎訴訟で長崎地裁は23日、原告27人中20人を原爆症と認定した。戦後63年を経てなお解決しない被爆問題。明と暗に引き裂かれた原告たちは互いを思い、複雑な表情を見せた。
 原告唯一の胎内被爆者、市場楳春(うめはる)さん(62)=長崎県時津町=は敗訴した。法廷で、認定されなかった原告として真っ先に名前が告げられた瞬間「頭が真っ白になった」という。「どうしてなんだ」。落胆と怒りに包まれた。
 市場さんは、母(83)が長崎の爆心地から2.4〜3.4キロで被爆して約3カ月後に生まれた。父は戦死し、顔を見たことはない。母は再婚したが「家は貧しく、いい思い出はなかった」という。
 生まれつき乳歯しか生えず、下の歯2本以外は入れ歯だ。母からは「被爆のことは誰にも言うな」と言われ、幼いころは偏見の恐怖にさいなまれた。30代半ばになると心配していた異変が体に出始めた。原因不明の高熱、頭を洗うと髪がまとまって抜け落ち、貧血などの症状が相次いだ。
 十二指腸に腫瘍(しゅよう)が見つかったのは01年、55歳の冬。長崎大医学部付属病院に入院し、手術で膵臓(すいぞう)の半分と胆のう、十二指腸を摘出した。03年には狭心症の症状も出始め、今は毎日7〜8種類の薬を服用する。
 薬を見ると、いつもやり場のない怒りがこみあげ、涙があふれる。被爆の記憶が全くないのに、確実に被爆しているという思いがあふれるからだ。
 胎内被爆者に対する初の司法判断だったが、思いは届かなかった。「胎内被爆で苦しむ人は多いのに。これでは、2世、3世への国の対応はさらに厳しくなるかもしれない。納得がいかない」とうなだれ、涙を浮かべた。【下原知広】
 ◇「期待裏切られた」
 判決を受け、森内実・原告団長は記者団に「新認定基準の枠内から出ていない判決。広島地裁判決のように全員が勝訴することを期待していたが、27人中7人が認定されず、裏切られた気持ちだ。国には控訴させないようにし、認定されなかった7人のためにこれからも闘わなければいけない」と話した。