日米の戦争犠牲者の子 捕虜収容所跡で反戦誓う【2008.05.31】(河北新報)

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 太平洋戦争末期、旧日本軍の外国人捕虜収容所があった秋田県鹿角市尾去沢地区に30日、亡父が元捕虜米兵だったジム・ネルソンさん(60)=米国カンザス州=が訪れた。タイの捕虜収容所に勤めた旧陸軍大尉の父が戦犯として処刑された駒井修さん(70)=盛岡市=が同行。戦争の犠牲となった父たちに、2人は思いを巡らせた。
 訪ねたのは、旧日本軍の仙台俘(ふ)虜収容所第六分所(尾去沢鉱山捕虜収容所)跡地と、捕虜の強制労働現場だった尾去沢鉱山跡地。反戦のメッセージを広く伝えるため、父の体験を本にまとめようと準備しているネルソンさんには悲願の来日だった。
 収容所跡地には現在、尾去沢中の校舎がある。佐藤亨校長と面会したネルソンさんは「子どもたちが学ぶ場に変わったことを聞いたら、亡き父も喜ぶでしょう」と感慨深げに敷地内を歩いた。
 父ジョンさんは、極度の栄養失調状態のまま厳しい労働を続け、終戦までに全盲となった。本国に帰還後も視力は戻らず、2005年に82歳で亡くなった。
 捕虜が働いた鉱山の坑道や選鉱場跡を見て回り、「父を知るためには、ここに来なくてはいけなかった。父に近づけた」とネルソンさん。父が処刑されたシンガポールを訪れた経験を持つ駒井さんも「気持ちはよく分かる。本当に良かった」と涙ぐんだ。
 盛岡市NPO「戦中戦後を語りつぐ会・いわて」の幹事でもある駒井さんは今回、元米兵の捕虜体験を伝えている米国在住のジャーナリスト徳留絹枝さんの呼び掛けに応じ、ネルソンさんに同行した。
 父光男さんはタイの捕虜収容所で副所長だった。スパイ行為をした英国人捕虜2人を殴って死亡させ、1人に重傷を負わせたとしてBC級戦犯となり、46年に40歳で処刑された。駒井さんは少年時代、「戦犯の子」と陰口をたたかれたという。
 それでも、「真実を見つめよう」と父の足跡をたどり続け、01年に光男さんの裁判記録を入手。罪の詳細を知り、「被害者に謝りたい」との気持ちを募らせた。昨夏に渡英、父の手で重傷を負った元英国兵に直接謝罪するなど、戦争と正面から向き合ってきた。
 「戦争でつらい思いをするのは、もうおれたちだけで終わりにしたい」。駒井さんは尾去沢を離れる前、ネルソンさんの前でこう話した。2人は、互いにこみ上げる思いを抑えながら、固い握手を交わした。
[仙台俘虜収容所第六分所(尾去沢鉱山捕虜収容所)]1944年9月、フィリピンで降伏した米軍捕虜ら500人が連行され、過酷な生活条件の下、尾去沢鉱山で軍需用の銅を採掘・製錬する労働を強いられた。45年5月には英軍捕虜ら約50人も連行された。秋田県内では小坂鉱山(小坂町)、花岡鉱山(大館市)にも捕虜収容所があった。