<「靖国」上映問題>「一水会」鈴木邦男さんに聞く 「反日という言葉は暴力だ」【2008.05.21】(毎日新聞)

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 右翼の抗議の後、上映中止が相次いだことで物議を醸した映画「靖国」。一部週刊誌などで「反日」とレッテルを張られたこの映画に推薦文を書いたのが、政治団体一水会」顧問で、かつて「新右翼」の代表的論客と言われていた鈴木邦男さん(64)だ。最近は北朝鮮を訪問するなど枠にとらわれない活動が目立つ。一貫して訴えているのは「対話」の重要性だ。鈴木さんに活動の真意を聞いた。
◇映画を見て議論を
−−「靖国」の上映を一貫して支持してきました。
 大半の映画は、見ても中身を忘れてしまうようなものばかり。でも、映画は神社で騒ぐ右翼や汚い言葉で神社に抗議する市民活動家など、いろんなものを映している。靖国神社や日本人の抱える問題について、考える材料をたくさん与えてくれていると思った。
−−「反日」的という批判もありました。
 僕は「反日」だとは思っていないが、「反日」かどうかも中身を見てみないと分からない。なのに「反日」というレッテルを張ると、それで映画のすべてを否定して、思考が停止してしまう。そういう意味で「反日」という単語は言葉じゃない。暴力だ。少なくともマスコミや政治家は使うべきではない。まず映画を見てから、みんなで個々の問題点を議論すべきだ。
−−4月18日には右翼の活動家を集めた試写会を開きました。
 右翼は怖い。映画館のお姉さんが抗議の電話を受けてパニックになるのは当然だ。でも、右翼の側にも自分たちの発言が取り上げられないから、事件を起こしてマスコミに取り上げてもらおうという後退した論理がある。
 今回の試写会では、右翼が議論し合い、それがすべてのマスコミで取り上げられた。それで右翼の側も活動をピタッと止めた。いろいろな問題で暴力に訴えようとする右翼はまだいるだろうが、発言の機会を与えれば、変わってくると思う。
−−重要なのは議論をし合うこと、ということですか?
 自分も若いころは、同じ意見の人だけがいる無色透明な日本にすれば良いと思っていた。でも、それでは異端はすべて出ていけとなる。反対の意見の人もいて、いろんな人がいて、そういう日本が好き。同じ考えの人だけだとつまんないでしょう。
−−先月末に北朝鮮を訪れたのも、対話を重視するためですか?
 実際に見てみると印象が変わる。ショーウインドーみたいなきれいな場所だけを見せられるのかと思ったら、普通に生活している人々を見た。大人も子供も背筋を伸ばして歩いていて、高度成長の中で日本が失ったものがあると感じた。
 一方で、拉致問題について話してみると、日本人の感情が分かっていないとも思った。「日本の捜査陣やマスコミ、市民団体を受け入れて、何年かかっても調査をやり直し、それで理解し合うしかない」と向こうには伝えた。
 北朝鮮も言葉が下手だ。だから、もっといろいろな立場の人が北朝鮮に行き、議論をぶつけ合えばいい。<聞き手/社会部・前谷宏記者>
◇記者の一言
 過去に非合法活動もしていた右翼の活動家。とつとつとした口調で対話の重要性を語る姿からは、そんなイメージを想像できなかった。異なる意見にも耳を傾けるべきだという「寛容さ」はどこから生まれてきたのか。「自分はずっと少数派だった。だから、少数派の大切さが分かった」。鈴木さんはそう話す。
 右から左まで多様な意見が言い合えるからこその民主主義。「あえて気にくわない意見を取り上げなかったら、言論の自由じゃない。排除だ」。鈴木さんの指摘は他の右翼活動家だけではなく、マスメディアにも向けられる。報道に身を置く一人として、これまでどれだけ多様な意見を取り上げてきただろうかと、重い課題を突きつけられた気がした。