<太平洋戦争>レイテ島で玉砕の戦死者法要 岐阜【2008.03.23】(毎日新聞)

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 太平洋戦争で岐阜県出身者が大勢集められ、フィリピン・レイテ島で玉砕した「泉五三一五部隊」の戦死者3370人の法要が23日、岐阜市大門町の圓龍寺(えんりゅうじ)で営まれる。1958年から毎年行われてきたが、戦友らの高齢化で参列者が減り、これを最後の法要にする。兄を失くした岐阜市長良の野田彰二郎さん(82)は「戦争を知る者が少なくなるのは、仕方がない。だが戦争は兄や家や大切なものを奪った。大嫌いだ」と今も強く憤る。
 野田さんの兄、雅一郎さんは1940年、20歳で入隊した。泉五三一五部隊は中国で陸戦に投じられ、戦況が悪化すると南方の前線へ送られた。兄は44年11月、レイテ島に上陸。1週間後、9人で米軍に突撃して死んだ。24歳だった。野田さんも翌年召集され、戦後はシベリアで強制労働させられた。
 法要は、戦友でつくる「泉五三一五会」が始めた。寺には高さ約3メートルの碑が建立され、最初の法要は戦友や遺族ら約4000人が集まったという。
 昨春、参加者は約60人にまで減った。案内状発送や碑を清める作業などで中心になってきた戦友は04年11月、交通事故で死亡。引き継いだ別の戦友も昨年、高齢を理由に運転免許証を返上し、自由に動き回れなくなった。
 昨年9月、戦友や遺族約50人が圓龍寺に集まった際、松原安市会長が「高齢者が多く、えらく(大変に)なった。法要は次で最後にしよう」と提案した。反対はなく、野田さんも「仕方がないことだ」と賛成した。
 野田さんが思い出す兄は、入隊前夜、東京に住む恋人に別れのラブレターを書いていた姿だという。野田さんは95年、初めてレイテ島を訪れ、兄のノートに挟んで残されていた恋人の写真を持っていった。「兄も、あなた(記者)と同じ普通の若者だった。死ぬ必要なんてなかったのになあ」【中村かさね】