東京・重慶・戦禍の空の下:大空襲・大爆撃訴訟を追う/1 /東京【2008.03.07】(毎日新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080307-00000127-mailo-l13

 約10万人の命が奪われた1945年3月10日の東京大空襲。空襲被害者が国に損害賠償を求める初の集団訴訟が昨年3月、東京地裁に提訴され、まる1年を迎える。日中戦争時、日本軍は中国・四川省への重慶爆撃を行った。この爆撃に対し、中国人遺族らが日本政府に賠償を求める重慶大爆撃訴訟も同地裁で進行中だ。大空襲被害者たちの裁判のこの1年を追う一方、無差別爆撃による同じ恐怖の空の下を生きた中国人被害者たちの訴えを現地から報告する。【沢田猛】
◆声なき声
◇民間人に、なぜ補償ない 「受忍論の打破」課題
 都立横網町公園墨田区横網2)の一角に建つモニュメント「東京空襲犠牲者を追悼し平和を祈念する碑」。内部に戦時中の一連の東京空襲の犠牲者名簿が納められている。近くに都慰霊堂が建つ。
 「慰霊堂はもともと関東大震災の犠牲者を悼む震災記念堂でした。戦後、慰霊堂に改称され、空襲犠牲者の遺骨はここに納められた。空襲犠牲者は慰霊堂に同居を強いられました。広島や長崎のような独立した追悼施設が空襲犠牲者にはなぜないのか。裁判を起こしたのは、空襲犠牲者の遺族らの声を無視してきた国の姿勢を正すことも含まれます」
 東京大空襲訴訟原告団の星野弘団長(77)はモニュメントの前で複雑な表情を浮かべた。
 大空襲の被害者や遺族ら112人(57〜88歳)が国に1人当たり1100万円(総額約12億3200万円)の損害賠償と謝罪を求め昨年3月9日、東京地裁に提訴した。 訴状によると、旧軍人・軍属やその遺族は国家補償を受けているが、空襲などの民間被害者に補償制度がないことから「法の下の平等に反する」と主張。大空襲が、日本軍の重慶爆撃などの先行行為の結果として受けた被害である点からも国の責任を指摘している。
 これに合わせ、空襲被害の実態調査や国立の追悼施設の建設なども求めている。
 提訴以来、これまで口頭弁論は4回開かれ、原告らの主張に対し国は事実の認否をせず事実関係に関する証拠調べも不要と主張。全面的に対立している。
 空襲訴訟を巡っては最高裁が87年6月、名古屋市の2女性が国家賠償を求めた訴訟で「戦争は非常事態であり、犠牲や損害は国民が等しく受忍しなければならなかった」との判断を示し、原告敗訴が確定している。
 星野団長は「国際的にも異例といえる民間人は我慢せよという受忍論をどう打破していくか。私たちの課題です」と力を込める。
 原告団の平均年齢は74歳。戦後60年有余。長い沈黙の後に提訴された訴訟には、戦災孤児などとして戦後を生きねばならなかった原告らの長く苦しい現実があった。
 「当初、原告希望者は200人近かったが年金生活者も多く、経済的な理由から辞退者が相次いだ。お金が工面できず『悔しい』と嗚咽(おえつ)をこらえ辞退を告げる、その声を聞くのがつらかった。こういう声なき声にも答えていかねば……」
 星野団長は表情を曇らせ、口元を引き締めた。高齢者たちの人生最後の闘いはこうして始まった。=つづく