しまね拡大鏡:硫黄島戦没者供養塔 風化させないで 参列者、年々少なく /島根【2008.03.06】(毎日新聞)
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◇松江・善光寺4月に慰霊祭
善光寺(松江市浜乃木1)の「硫黄島戦没者供養塔」は「平和観音」とも呼ばれ、毎年4月17日に慰霊祭が行われている。高齢化が進んだことなどで、最近は参列者が4、5人ほどにまで減ってしまった。硫黄島で戦死した兵士の妻石川俊枝さん(90)=松江市法吉町=は「いつまでも若い人に英霊顕彰(戦死者をたたえ広く世間に知らせること)してほしい」と話している。【御園生枝里】
「硫黄島戦没者顕彰碑建立の記録」によると、県内の硫黄島戦死者は約600人。供養塔は県内の遺族でつくる「硫黄島遺族世話人会」が1952年に建立した。
毎年、慰霊祭の案内を送付し、二、三十人が集まっていたという。しかし、04年に永代供養して以来、遺族が個々にお参りすることになり、参列者が減ってしまった。
ここ数年は石川さんら遺族数人が参列。「戦死者の妻も亡くなったり、寝たきりになったりで来られない」。毎年、石川さんは世話人として、妻として、最年長で参加している。
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石川さんの夫卓三さんは硫黄島で32歳のとき戦死した。卓三さんは43年に浜田連隊に召集され、44年6月に浜田から戦地へ出発した。
卓三さんが戦地に旅立つ直前、友人のはからいで会いに行くことができた。県職員だった卓三さんは、石川さんと、まだ3歳と5歳の小さかった2人の子どもの生活を思い、「県から給料が出るから暮らしには心配ない」と励ましたという。卓三さんがどの戦地に行くか、軍事機密のために石川さんは知ることが出来ず、「場所が分かるよう、手紙にインクを落としといて下さい」と卓三さんに伝えた。
硫黄島からの手紙1通には、文章に紛れて、中心より少し下に点が記してあった。「南の方にいるんだなと分かった」と石川さんは振り返る。
硫黄島から届いた手紙は全部で12通。
「元気でやっていますか。火の元用心するよう願います」
「子どもは見違えるほど大きくなったと思います。写真を送って下さい」
手紙は家族を心配したものとともに、物資を送るよう頼むものも多かった。
「何でもいいから送ってください」
石川さんは「物資がなかったんでしょう。送っても届かないこともあった。かわいそうで」と涙ぐむ。
そして手紙は途絶え、その後、45年9月に卓三さんが戦死したという通知が石川さんのもとに届いた。石川さんは、手元に戻った位牌に「子どもは立派に育てます」と誓ったという。
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76年、硫黄島協会が行う慰霊墓参に参加し、硫黄島に渡った。自衛隊機から島が見えた時は「ここで苦労したんだな。どんな最期だったんだろう」と涙を抑えきれなかった。硫黄島から持ち帰った石や砂を、遺品や写真と一緒に大切にしまっている。
今年も4月17日に平和観音で慰霊祭を開く。石川さんは「世界平和のために、戦争を知らない人も慰霊の心を持ってほしい、戦争で尊い命が犠牲になったことを風化させないで」と願っている。