「独立新聞社」の朝鮮人特派員報告
http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data7/data7-5.html
みすず書房「現代史資料6 関東大震災と朝鮮人」P-338〜341より引用。
原典は「愛国同志援護会編「韓国独立運動史」とのこと。
鷹嘴さんご提供 2007.09.01掲載
その後[まず「埼玉県通達」、「語る人 元本庄警察署新井巡査」をお読み下さい]、朝鮮人のジャーナリストも調査を開始しました。「独立新聞社」の特派員も、激烈な憤りを込めて調査結果を報告しています。
金希山 先生前
先生と別れた私達は、千辛万苦して十日目に、やつと焦土化した倭京に着き、各々、確かと責任分担した地方に散つてゆきました。
ですが、先生も想像がお出来のように、詳細に調査完了するには、極めて困難があります。従いまして、秋も過ぎ、白雪粉々たる今になつて、やつと各地の報告を綜合して、第一次として、大網を記送致しますから以上より詳しいものは、次の便をお待ちになつて、ひと先づは胸のつかえをお解きになるようお願いします。
果たせる哉、私たちの生活は甚だ不自由で、定処なく、通信も不便で、長報告の時間と便宜もないので、これを深諒されるよう願います。
先生!敵京の惨酷なる「ざま」は、憐れむ可きと云うよりも、賀す可きであります。
奴等が吾が同胞を虐殺したことを考えると、怒りで歯ぎしりがで、敵土が全滅しなかったことだけが恨まれるのです。
先生!だが私は血が沸立ち、肉が踊り、胸の動悸は激しく、涙が顔面を覆い、筆を執つてこれを書くことを敢えてなし得ません。
これを見る吾が同胞中の誰が、そうでない者がありますでしょうか。
到る処の、苗束のような屍を見れば胸は痛み、両の眼で、焼け残った肉の跡を尋ねては、身体が震えました。
嗚呼!天地は際限があるとしても、吾々の積り積つた怨恨たるいつかや、はらす日があるだろうか。哀哉。この冤讐をはらす者は誰であろうか。
空山明月夜三更に、杜鵑が哀しくなけば、7千の吾が同胞達の孤魂を思い出すべきでしょう。
糠雨が止むことなく降り、稲妻が光り、真暗で静かな悔日の夜、遠くで響くかみなりを聞いたならば、倭地で冤魂となつた7千、否、7千よりもっと多い魍魎の哀哭なのだと思つて下さい。
嗚呼、春の風、秋の雨が、これから幾度来るのか。唯、願うことは、吾々の一片丹心だけであります。
報告
被殺地 被殺人数
亀戸 100人
小松区内 27人
亀戸停車場前 2人
大島六丁目 26人
同 七丁目 6人
大島八丁目 105人
小松川附近 2人
三戸地 27人
三戸地附近 32人
亀戸警察署演武場 36人
向島 43人
寺島請地 14人
平川 7人
清水飛行場郊 27人
八千代 3人
?島署内 14人
月島 11人
深川 4人
埼玉県北葛町 稲村大字幸房 17人
品川停車場前 2人
宇都宮 3人
埼玉県芝公園 2人
埼玉県熊谷 60人
〃 本庄 63人
千葉県船橋 37人
〃 法典村、塚田村 60人
〃 南行徳 3人
〃 流山 1人
〃 佐原 7人
〃 馬橋 3人
群馬県藤岡警察署 17人
埼玉県寄居 13人
埼玉県妻治 14人
東京府下 1人
世田谷 3人
府中 2人
千葉市 37人
成田 27人
浅草 80人
埼玉県神保原 25人
赤羽巌淵 1人
埼玉県大宮 1人
荒川付近 100人
波川 2人
我孫子 3人
長野県界 2人
荒川 17人
馬橋 3人
千住 1人
神奈川県 1795人
合計 3240人
(以上は屍体を探せなかった同胞)
以下の記録は屍体を発見した同胞だが、その数1500に達するが、私(特派員)が実際に見たのは1167人、残余333人は、所在調査中
発見場所 屍体数
神奈川県浅野造船所 48人
神奈川警察署 3人
土方橋から八幡橋 103人
山手本町立野派出所 2人
本牧 32人
若屋別荘 10人
根岸町 35人
山手町埋地 1人
御殿町付近 40人
程谷 31人
井戸谷 30人
神奈川県鉄橋 500人
久良岐郡金沢町 123人
川崎 4人
戸部 30人
水戸上鴨田 30人
鶴見 7人
久保町 40人
津間町 40人
習志野営林巌 13人
合計 1167人
以上累計 4407人
上記の第一次調査を終了した11月25日に再び各県から報告が来た。
被殺地 被殺人数
東京府 752人
神奈川県 1052人
群馬県 17人
茨城県 5人
千葉県 133人
埼玉県 293人
栃木県 4人
以上累計6661人
大韓民国5年11月28日
血涙の中で ○ ○ ○ 上
独立新聞社金希山先生前