埼玉県通達文

http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data7/data7-3.html

埼玉県通達文

東京に於ける震災に乗じ暴行を為したる不逞鮮人多数が川口方面より或は本県に入り来るやも知れず、又其間過激思想を有する徒之に和し以て彼等の目的を達成せんとする趣聞き及び漸次其毒手を揮はんとする虞有之候就ては此際警察力微力であるから町村当局者は在郷軍人分会、消防手、青年団員等と一致協力して其警戒に任じ一朝有事の場合には速かに適当の方策を講じるやう至急相当手配相成度き旨其筋の来牒により此段移牒に及び候也


(解説)

1923年(大正12年)9月1日に神奈川県・千葉県の沿岸部一帯を震源として発生したマグニチュード7.9 の大地震は、「関東大震災」と呼ばれる大災害をもたらし、約10万人の犠牲者を出しました。

またこの災害の中で、多くの朝鮮人・中国人・社会主義者が、群集や日本軍によって虐殺された事実も忘れてはなりません。

デマに踊らされた群衆が朝鮮人を虐殺した事件は、東京だけでなく神奈川、千葉、群馬、栃木、そして私の住む埼玉県でも発生しました。

朝鮮人が爆弾を投じた」「井戸に毒を投じた」などというデマが流れましたが、これらのデマの元は、火災現場で何かが破裂する音がしただけであったり(竹の棒を焚き火で燃やしても破裂します)、朝鮮人が井戸の水で米を洗っているだけであったり、飲み薬を携帯していただけだったのです。

これ[通達]は10月になってから各紙が取り上げ、「埼玉県当局が震災直後に管下各町村に向つて激烈な通牒を発し自警団の暴行を誘発」したと、「非難の的」になりました。