映画「靖国」助成が問いかけるもの【2008.05.11】(産経新聞)

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080511-00000911-san-soci

政治結社弁護士会などによる自主上映会が各地で開かれた
 《文化新興、あるべき姿は?》
 文化の助成はどうあるべきなのか−。靖国神社を題材にした映画「靖国YASUKUNI」の上映自粛をきっかけに、国会などにまで広がった論争は、文部科学省による助成のありようについて、さまざまな疑問点を浮かび上がらせた。審査段階と内容がかけ離れた作品の助成金交付は止められなかったのか。さらにいえば審査は適正だったのか。そもそも芸術作品の適否を行政が判断できるものなのか…。「靖国」騒動から、文化振興のあるべき姿を考えてみたい。(牛田久美)
 まずは助成の経緯を振り返る。映画に750万円を助成したのは、文科省所管の日本芸術文化振興会だ。文化の裾野を広げる目的で、税金を主たる原資とする基金の運用益約15億円を舞台芸術、美術などの11分野に支出していて、「靖国」は18年度に28作から選ばれた記録映画8本の一つだった。
 制作した有限会社龍影の企画書によると、映画は当初「靖国の四季」がテーマとされた。終戦60年の夏から始まり、ラストシーンは〈歌声の中、満開となる靖国神社の桜。老若男女の日本人と無数の英霊が、美しい一時を過ごす〉。申請の時点では、靖国に批判的な立場の人たちだけでなく、靖国神社を支援する「英霊にこたえる会」や東條英機の遺族らも出演リストに挙がっていた。
 この企画書を映画監督や評論家ら6人からなる専門委員会が審査し、助成を決定したが、その後、映画の内容は大きく変容する。
 北京の2団体が新たに共同制作者となり、中国人スタッフが増員。キャストは靖国違憲訴訟原告団の2人と「靖国刀」の刀匠に絞られた。当初は出演予定とされていた東條家は「連絡はない。助成を得るため企画書に私どもの名を用いたなら非常に残念」としている。
 構成も「靖国刀」を中心とする内容に。ラストシーンは、中国が“旧日本軍の蛮行”として反日宣伝に使っている真偽不明の写真の数々と、靖国神社へ参拝される若き日の昭和天皇を交互に映し出す場面となった。
 もちろん、撮影前の企画と完成作とが異なることはあり得るが、諸変更は各委員には知らされなかった。助成金の交付要綱には、助成対象が交付の条件に違反した場合、助成を取り消すと定めた項目があるにもかかわらず、適否を確認する場は設けられていない。振興会によると「取り消された前例はありません」。
 審査自体も、とても厳格なものとは言いにくい。委員が16本から4本を選んだ審査はたった3時間。「靖国」について国会質問した有村治子参院議員は言う。「ずさんなことは明らか。公平に審査して、助成金返還を検討することを希望する」
 政治的表現に踏み込む映画があってもかまわないが、そもそも助成の対象となるのは「日本映画」で「政治的な宣伝意図を有しないもの」と決められている。その条件を満たしていないと指摘するのは、稲田朋美衆院議員だ。
 「龍影は日本法人ですが、役員は全員中国名。制作総指揮、監督、プロデューサーも中国人です。日本映画とはいえない」
 映画が芸術である以上、可否を判断すること自体がそぐわないという声もある。映画評論家の浅野潜(せん)さんは、「映画を自国の文化と重んじる韓国では、一作品に億単位の支援をしながら内容には踏み込まない。その方針が、現在の隆盛を築いた。助成対象でも、内容は自由であるべきでは」。
 一方、助成の対象を「映画界全体が潤うように手直ししては」と話すのは、寺脇研・元文化庁文化部長だ。「個別の作品を審査して制作費を援助するやり方は、納税者の目が厳しい今、難しいでしょう。個別支援はやめて、人材育成、映画祭支援、ロケ地のデータベース化といった間接的に映画振興を行うやり方へ切り替える良い機会だ」
 文化を守り育てるための制度を、どう作り上げてゆくか。課題を露呈させたことが、この映画の最大の存在価値かもしれない。
≪映画「靖国 YASUKUNI」助成の経緯≫
平成
18年7月 龍影が助成要望書を提出
   9月 委員会が審査
  10月 助成内定
  12月 上映時間を縮め、制作期間を延ばす1回目の変更書を提出
19年1月 助成決定
   3月 構成、出演者、制作総指揮の本名を変え、スタッフを中国から増強する2回目の変更書(27日)
      試写(30日)
   4月 実績報告
      750万円を交付
  12月 題などを変える3回目の変更書