東京大空襲:「米空軍独立狙い」 江東で報告会「背景に関係者の悲願」【2008.03.02】(毎日新聞)

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 1945年3月10日の東京大空襲から63年になるのを前に1日、江東区東京大空襲・戦災資料センターで研究報告会があった。荒井信一駿河台大名誉教授(現代国際政治史)は、空襲の1年前の44年4〜5月ごろ、米国で作戦方法が固まったことを明らかにし、「空襲の背景に『米国空軍の独立』という関係者の悲願があった」と指摘した。
 研究報告会のタイトルは「東京大空襲はいつ決定されたか」。荒井名誉教授は、米国で公開された資料や当時の関係者の手紙をもとに、成果を報告した。
 それによると、米国の統合参謀本部(JCS)は44年4月、東京、横浜、名古屋、大阪など6都市の空襲を承認。日本人の戦意を失わせるだけでなく、労働者の死傷など、東京大空襲によって日本の民間人に深刻な影響を与えることも承認していた。荒井名誉教授は「(空襲の時期に)3月を選んだのも、突風の多い季節を利用しようとしたのでは」と分析した。
 一方、当時の米空軍は、米軍の中で独立した組織でなく、米軍関係者の手紙には「空軍の組織を正当化(独立)するには、敵(日本)の決定的な敗北に対して決定的な役割を果たさなければならない」と記されていた。荒井名誉教授は「米国の空軍関係者にとって独立は悲願だった。東京大空襲では人道的配慮より、結果を出すことが要求された」と指摘した。【永井大介

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