金大中事件:調査委報告書(要旨) 国家犯罪、34年の闇

http://mainichi.jp/select/jiken/news/20071025ddm010030098000c.html

 ■韓国国家情報院の真相調査委報告書

 ◇拉致「組織的に実行」/真相隠し「韓日双方に責任」

 73年8月の金大中(キムデジュン)氏拉致事件について韓国国家情報院の真相調査委員会が24日発表した報告書(短縮版)の要旨は次の通り。人名などの「○」や「○○」の部分は伏せられており、原則としてそのままにした。ただ、拉致現場のホテルから指紋が発見された金東雲(キムドンウン)在日韓国大使館1等書記官(当時)だけは「金○○」となっているのを「金東雲」と書き換えた。報告書の表記に従い、一部敬称を略した。

 ◆1 概要

 ◇1、事件内容

 金大中(前大統領)が73年8月8日、東京のホテル「グランドパレス」から拉致され、同13日に韓国で解放された後の証言による。

 ▽8月8日午前11時ごろ、同ホテル2211号室に投宿中だった梁○○(○○党党首)を訪問し金○○(○○党議員)も同席して昼食。午後1時ごろ金○○とともに廊下へ出たところ、6人の男たちに2210号室に引きずり込まれた。

 ▽拉致犯らは金大中をベッドに押さえつけ「騒ぐと殺す」と脅迫。麻酔をかけたが、意識は残っていた。エレベーターで地下駐車場に移動、車で高速道路を5〜6時間走り、大阪付近の建物に到着した。

 ▽そこで、犯人らは金大中の顔をテープで巻き、手足を縛った。再び車で1時間以上走り、海岸で別のグループに引き渡された。モーターボートに1時間ほど乗り、大きな船(竜金号)に移った。

 ▽航海中、船倉に監禁された。板に体を縛りつけて猿ぐつわをし、重いものを結びつけて海に落とすような準備をしたが、「飛行機だ」という声がした後で中止された。

 ▽8月11日ごろ、韓国沿岸に到着。モーターボートで上陸して救急車に乗せ、洋式家屋で金大中の監禁を続けた。拉致犯らは「救国同盟行動隊」を名乗り、同13日午後10時ごろ、(ソウル市内の)東橋洞にある自宅前で解放された。

 ◇2、疑惑の事項

 ▽中央情報部による拉致だったのか。

 駐日派遣官、金東雲の指紋が発見されるなど中央情報部の介入を示す証拠が出たが、当時の韓国政府は無関係だと主張した。

 ▽指示した最高位者は誰か。

<李厚洛(イフラク)中央情報部長指示説>

 李厚洛は朴正煕(パクチョンヒ)大統領から厚い信頼を受けていたが、首都警備司令官が酒席で「朴大統領を追い出して李厚洛を後継者にすべきだ」と語ったとして処罰された後、急激に信頼を失った。これを回復するため過剰な忠誠心から拉致を指示したという主張。

<朴正煕大統領指示説>

 李厚洛の独断で拉致を進めたと見るのは難しく、政敵を排除するための政治工作として朴大統領が指示したという主張。

 ▽工作目標は何だったのか。

<単純な拉致という主張>

 事件に関連した元中央情報部職員の一致した主張。金大中の海外での反朴活動を中断させるため、単に国内に連行したというもの。

<殺害計画だったという主張>

 当初は殺害計画があったが、目撃者が出るなど状況が変化し目的を達成できなかった。つまり「殺人未遂の拉致事件」だという主張。

 ▽政府の組織的な真相隠ぺいがあったか。

 当時の韓国政府が、公権力介入説を全面否定して関係者に対して嫌疑なしとする処理を行い、日本とは外交的解決を進めることで、真相を組織的に隠ぺいしたという主張。

 ◇3、調査目的(略)

 ◇4、調査の限界

 ▽捜査ではなく関係者との面談による証言聞き取りという点で一定の限界があった。

 ▽核心となる資料「KT工作計画書」が作成された事実は確認したが、保存されておらず、疑惑事項の完全な解消は難しかった。

 ▽健康状態悪化のため李厚洛に対する面談調査が不可能だった。住居地を訪問したが、自身の意思を表示できないことを確認した。

 ◆2 調査内容

 ◇1、資料調査(略)

 ◇2、面談調査

 ▽事件に関与した中央情報部職員27人中、死亡や健康悪化(7人)、身元・連絡先の未確認(6人)、重要度が低い(3人)などを除く11人に対し、延べ15回聞き取り調査を行った。

 ▽竜金号船員4人と金大中ら計18人と延べ22回の面談を実施した。

 ◆3 調査結果

 ◇1、時代的背景(略)

 ◇2、中央情報部による拉致事実の確認

 A 中央情報部が主導した事実の公式確認

 ▽本委員会は徹底した調査の結果、金大中拉致事件は中央情報部が主導したという事実を明白に確認したことを公式に明らかにする。証拠資料は、元中央情報部職員や竜金号船員たちの拉致事件に加わったという証言や、拉致の推進状況について中央情報部海外部門と駐日派遣官の間で交わされた電文などである。(後略)

 B 工作計画の策定過程及び内容

 ▽73年7月10日、金大中が米国から日本に再入国した数日後、駐日派遣官に「金大中関連対策方案(KT工作計画書)を作成・報告せよ」という指示電文が下達された。命令系統は「李厚洛部長−李哲煕次長補−河○○局長−金○○公使−金東雲派遣官」というルート。(後略)

 C 具体的な工作推進過程

 ▽竜金号が大阪港に到着した73年7月29日より前から金大中が泊まると予想されるホテルなどの監視と、協力者を活用する誘引工作を推進。

 ▽同月31日、具体的方法を含む「KT工作関係報告書」をソウルに送付。

 ▽拉致実行2日前である8月6日、工作を主導していた○局から駐日派遣官に金大中の自発的な帰国意思の確認指示が緊急下達された。

 ▽同日、金○○公使が「金大中が8月8日、ホテル・グランドパレス2211号を訪ねる」という情報を提供すると、尹団長は同ホテルから拉致する最終決定を下し、準備作業を開始。2210号室を予約し、要員をあらかじめチェックインさせた。

 ▽現場の活動部隊として金東雲、柳○○ら5人を選定し、拉致用の車両を準備し、大型リュックなどを購入。

 D 移動経路別拉致状況

 ▽拉致及び車両の移動状況

 竜金号乗船までは被害者証言とほぼ同じ。

 ▽竜金号で移送

 尹団長は8月8日夜、約束の尼崎埠頭(ふとう)で竜金号チームと合流。金大中を引き渡した後、尹団長と柳○○は大阪に滞留。柳○○は翌日、駐日大使館に復帰し、尹団長は数日後、香港経由で韓国に帰国。

 ▽竜金号内の監視状況

 乗船後、金大中の顔のテープをはがし、目にガーゼをあてて包帯で巻き、口には猿ぐつわをかませ、手足をくくって貨物室に監禁。モールス信号による手動無線機で本部に「貨物(金大中のこと)を無事に積み出発した」と報告。瀬戸内海を航行し、山口県徳山市(現・周南市)付近を過ぎた時、捜索に備えて金大中を貨物庫の下の小さな船倉に移動させる。8月10日夜に釜山港に到着したと判断。

 ▽ソウルの拠点での滞在および放免状況

 被害者証言とほぼ同じ。

 E 拉致状況の分析

 ▽ホテルという場所的な弱点と、金○○、梁○○及び従業員ら多数の目撃者発生が予想される状況にもかかわらず、拉致を敢行したことは、指揮部で実行を督促したことに起因しているとみられる。

 ▽拉致を実行しながら、準備した大型リュックを放置したままホテルを離れ、結果的に現場に金東雲の指紋を残したなどの事実は工作が組織的・体系的に実行されなかったことを表している。隠語で表現したとはいえ、拠点への移動経路などが被害者にわかってしまったことなど、事案の重大性に比べ、現地工作員はずさんだったという側面もある。

 ◇3、最高位の指示者に対する判断

 ▽李厚洛部長が工作推進の指示をしたということについては直接、口頭指示を受けた李哲煕らの陳述内容と実際に海外工作局主導で拉致が実行された点を通して、明確な事実と確認。

 ▽朴大統領の拉致工作の認知時点に関し、李厚洛はメディアとのインタビューなどを通して事後報告をしたと主張している。当時の側近らも、事後に認知したという証言が多い。

 ▽一方、朴大統領が事前に李厚洛に指示をしたという説の根拠としては次のようなものがある。

 中央情報部による拉致であることが露見した場合、日本との外交問題が発生し、国際社会で韓国の威信が落ちるなどを考慮する時、李厚洛の独断的な決定によって実行できるのかという根本的な疑問。

 李厚洛から「朴大統領の指示を受け、仕方なくやった」という意味の言葉を直接聞いたという証言がある。

 ▽その他の点も通じて朴大統領の直接指示の可能性を排することができず、少なくとも暗黙のうえでの承認はあったと判断される。

 ◇4、工作目標についての判断

 A 殺害計画主張の根拠と反論

 ▽「KT工作計画書」に「ヤクザを活用し暗殺する方法も含まれていた」という尹団長の証言で、実際に殺害計画があった可能性を確認。しかし尹団長も実行過程では単純拉致計画として推進されたと主張。その他の関係者らは殺害計画論議自体を否定。

 ▽在日同胞出身の暴力団組長(死亡)が「金○○公使から、金大中除去について、提案を受けたが日本警察の尾行と盗聴によって加担できなかった」と証言。

 ▽東京の興信所に金大中の監視を依頼したのは殺害計画を実行するための情報収集目的だった疑いが浮かぶ。

 ▽しかし、殺害計画が推進されたという証言や具体的な資料はない。

 ▽金大中は竜金号から体に石をつけられ、海に沈められようとしていたが、飛行機の出現によって中止されたと主張。しかし、鄭○○と竜金号船員らは強く否定しており、事実かどうか確認は難しい。飛行機が接近したという根拠資料も探せない。

 B 国家情報院の資料による単純拉致の根拠

 (略)

 C 最終判断

 ▽暗殺計画が一定の段階まで進んだものの目撃者の出現などの状況変化によって中止されたか、現地工作員の判断によって殺害計画が放棄され、単なる拉致に変更されたという可能性も排除はできない。

 ▽しかし、各種状況を総合的に判断すると、工作計画の初期段階では、ヤクザを利用した殺害案が論議されたことは事実だが、少なくとも竜金号が大阪港に到着した以後、またはホテルで拉致が実行された段階では、単なる拉致案に確定されていたとみるのが妥当だ。

 ◇5、政府の組織的真相隠ぺい事実の確認

 ▽韓国政府は公権力介入の事実を全面的に否定し、事件隠ぺいに力を注いだ。

 中央情報部は事件に関与した駐日派遣官らを帰国させ、特別捜査本部に対する調整・統制と、関係者らに対する事後管理を行った。

 特別捜査本部は、現場で金東雲の指紋が発見され、拉致車両が劉○○所有と確認されたという日本側からの通報にもかかわらず、74年に捜査を中止し75年7月金東雲を不起訴処分として捜査を終結した。

 ▽また韓国政府は日本側との外交協議で事件収拾を図った。

 73年11月金鍾泌首相が田中角栄首相と面談し、朴大統領の親書を伝達。日本政府から「これ以上、問題提起しない」との約束を得た。

 74年8月15日の文世光による狙撃事件(朴大統領夫人が死亡)について韓国側が背後関係の捜査などを強く要求。日本側は拉致事件を蒸し返して対抗したが結局、「問題提起しない」という合意を確認した。

 ★韓国政府が真相を隠した過ちについては繰り返すまでもないが、日本政府も韓国の公権力介入を認知できたのに外交的解決に協力し、黙認したことの責任を免れることはできないと言えよう。

 ◆4 結論と意見

 ◇1、結論

 ▽金大中拉致事件が当時の中央情報部長、李厚洛の指示により、駐日派遣官らを動員して実行された事実だけでなく、事件後の真相隠しも明確に確認した。

 ▽朴正煕大統領の指示があったかどうか。直接的な文書や証拠は発見できなかったが、少なくとも黙認はあったと判断される。根拠は次の通り。

 李厚洛部長が李哲煕の反対にあうと「私がやりたくてやっていると思うか?」と怒ったことがある。拉致工作が進行中だった73年7月27日、金大中の反政府活動を総合した内容が朴大統領に直接、報告された。工作事項も含まれていた蓋然(がいぜん)性が高い。朴大統領は事件発生後、関係者らを処罰せず、金鍾泌首相を日本に派遣して外交的収拾を図った。

 ▽殺害計画が推進されたかどうか。当初の目標が殺害だった可能性は排除できないが、少なくとも竜金号が大阪港に到着した後、またはホテルで拉致した以後には、単純拉致の計画が確定し実行されたと判断される。

 工作計画が立てられた当時、ヤクザを動員して暗殺する方法などが論議されたという関係者の陳述がある。拳銃と大型リュック、ロープも準備された。国内移送だという主張の説得力は弱い。

 一方、拉致過程で暗殺の機会が十分あったのに直接的な殺害企図行為はなかった。多数の要員が加担し、多くの段階にわたった点で殺害工作とは論理的になじまない。拉致直前にも自主帰国の説得などの指示が下された。これらからは単純拉致計画が確定された状態だったという推論が可能だ。

 ▽韓日両政府は事件の真相隠しについて責任を免れない。

 ◇2、意見

 ▽被害者である金大中前大統領に対し、韓国政府の公式謝罪などが必要だ。

 ▽拉致工作に加担した中央情報部職員らの行為には弁明の余地がないが、調査には誠実に証言し、被害者にも心からの謝罪を表明した。金大中前大統領はインタビューを通じて何回も、事件の関与者を許すと表明した。

 本委員会は調査結果の公開が、過去の傷をいやす契機となるよう期待する。

 ▽事件当時、韓国政府は朴大統領が田中首相に親書を送り遺憾表明した。本委員会は国家情報院の前身である中央情報部が日本国内で拉致行為をした事実を確認し、この点について再び深い遺憾の意を伝える。

 ▽一方、日本政府も外交的解決に合意し、事件発生初期に真相究明がなされないという結果を招いた。この責任について本委員会は遺憾を表明せざるを得ない。

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 ◇体面にこだわる韓国 蒸し返し、日本も不都合−−小此木政夫・慶応大教授(現代韓国朝鮮論)の話

 事件に韓国政府が関与していたことを初めて認めたことに意味がある。しかし、日韓双方とも、報告書の内容は事前の想定の範囲内で、常識を覆すようなものではない。

 注目すべき点は韓国政府が「調査委員会の報告は政府の見解ではない」との姿勢を示したことだ。委員会の報告と、政府見解を切り離すことで、韓国側は謝罪せずに体面を保とうという姿勢がうかがえる。日本側にとってもすでに決着した問題を蒸し返されるのは不都合で、韓国側の姿勢は日本への影響を最小限にするだろう。

 そもそも、過去の政治決着は、日本がかつて植民地支配した国との間で起こった事件で、かつ当時は冷戦下で日韓両国が同じ西側陣営だったため、厳格な対応が難しかったのだろう。今回の報告書で一応、真相も究明しており、この問題は事実上、幕引きとなるだろう。

 大統領選挙が2カ月後に迫っている。事件に関係した朴正煕(パクチョンヒ)元大統領の長女、朴槿恵(パククンヘ)氏が野党の大統領候補になっていれば、大きな影響を与えただろうが、別の候補者が出ているので選挙戦への影響もない。

 ◇安企部謀略説を否定 「北朝鮮側のテロ」再確認−−大韓機爆破

 真相調査委員会は87年に発生した大韓航空機爆破事件の調査結果も公表した。事件は韓国大統領選中に発生したことから、事件当初、「国家安全企画部が事件の計画を知っていて放置した」などの謀略説が投げかけられていたが、報告書は完全に否定。「北朝鮮の対南工作員によるテロ事件だった」と再確認した。

 87年11月29日、バグダッドアブダビ経由ソウル行きの大韓航空858便(乗客95人、乗員20人)がミャンマー沖合を飛行中、空中爆発した。2日後の12月1日には日本の旅券を持つ男女がアブダビで降りたことが判明。バーレーン当局による事情聴取中に2人は服毒自殺を図り、男は死亡した。安企部は同15日、「蜂谷真由美」名の日本の偽造パスポートを所有していた金賢姫元死刑囚を大韓航空機爆破容疑で韓国へ移送した。

 報告書は関係者93人に聞き取りを行ったほか、政府保有の非公開資料などを参照したと調査方法を説明。そのうえで、金元死刑囚の陳述などから2人を実行犯と断定した論理に矛盾はなく、事件は北朝鮮の対南組織が主導し、工作要員である金勝一、金賢姫の両工作員により実行されたテロ事件だったと断定した。

 一方、安企部が無関係の女性の写真を金元死刑囚だとして公開したことなどを挙げ、十分な検証をしないままに発表を急ぎ、「不必要な誤解や疑惑を招いた」と結論づけた。「大統領選で与党候補を有利にすることを狙い、安企部が選挙前に金元死刑囚を韓国へ移送しようという外交努力を払った」とも指摘した。

 ◇金大中氏拉致 役割別関係者一覧

拉致段階        関係者

工作推進指示      李厚洛部長

工作推進状況総括    李哲煕情報次長補、河○○担当局長

現地工作責任者     金○○駐日大使館公使

現地工作指揮監督    尹○○担当団長

拉致現場行動隊員    尹団長、★金○○、尹○○、洪○○、柳○○、劉○○

ホテル→大阪アジト   尹団長、洪○○、柳○○、劉○○

            ※金○○、尹○○は梁○○及び金○○監視

大阪アジト経由     尹団長、柳○○、朴○○、朴○○、金○○、金○○

            ※洪○○、劉○○は復帰

アジト→大阪港     尹団長、柳○○、安○○(運転)

モーターボート→竜金号 鄭○○、朴○○及び 金○○、鄭○○(船員)

竜金号航海中監視    鄭○○、朴○○及び竜金号船員(金○○等)

釜山港→ソウルアジト  金○○、姜○○、金○○

ソウルアジト監視    姜○○、李○○

東橋洞自宅放免     姜○○、李○○、黄○○(運転)

 (○○は報告書の通り)

 ★金○○は金東雲・在日韓国大使館1等書記官

毎日新聞 2007年10月25日 東京朝刊