原爆症認定集団訴訟・勝利を呼ぶすわりこみ

 3月22日に、東京地裁にて、原爆症認定集団訴訟・東京(第1次提訴) 判決がありました。原告被爆者21名の原爆症認定申請却下処分を取り消す判決が出た=原告勝訴した(ただし9人は棄却)のだけれども、国は30日に控訴しました。それに対して、原告はすでに老齢の身であるため、一刻も早い解決を求めるべく、厚生労働省前で、4月2日から4日まで、昼夜連続での座り込み行動が決行されています。


 本日初日19:00からの「原告を囲んでじっくり話を聞くつどい」に参加したため、感想を少々。原告である、川中さんと、小西さんは、この日朝からずっと行動をともにされていました。そのお二人のお話を、テントの中で聞きました。


 川中さんも、小西さんも、爆心地から4〜4.5kmのところで被爆。現在は体の各所にガンを患っています。小西さんは、当時16歳でしたが、被爆直後の記憶は断片的にしか覚えていないそうです。しかし今も鮮明に覚えています。小西さんが覚えている、原爆投下直後の最後の記憶は、「水をくれ」という声のする方に横たわっていた人の、白く膨れて3つの穴だけがあいている、豆腐のようになった顔だそうです。ある詩人も、同じような光景を詩にしているそうです。


みずをくれ とうふがひとり うみへはう


これは婉曲表現でも、なんでもないと。本当に見たままが、このような光景だったのだと。


「こういうふうにして一瞬で死んでいった人々や、その後も苦しんで苦しんで死んでいった人や、やりたいことの半分もできなかったような自分の人生は、どんなに求めても取り戻すことなんかできない。なのにその中の本当にほんの少しのことさえ、国はなぜ認めてくれないのか。……国はこうした原爆の被害を直視し、そして本当に核兵器のない、平和な世界にしなければ。ふと立ち止まると、いつも後ろから何かに追われるんです。なにをやっているんだと。早くなくさなければと」。小西さんは、このようにおっしゃっていました。


追われなければならないのは、私たちの世代であるはずなのに。苦しい。


一刻も早い、解決を。(編集部:舜)

                                                       
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