中国人被爆者追悼碑:追加刻銘へ、刑務所に再調査要求−−「建立委」 /長崎【2008.08.01】(毎日新聞)

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被爆死の資料確認
 市民団体「浦上刑務支所・中国人原爆犠牲者追悼碑建立委員会」(代表・本島等長崎市長)が、長崎市平和公園に建立した追悼碑に中国人犠牲者1人の名前を追加刻銘するため、長崎刑務所(諫早市)に資料確認を求めた。資料紛失などにより1人だけ刻銘できないままになっているためで、同会は「死者に申し訳ない」と刻銘に向けた活動を続けている。【錦織祐一】
 1人は、各種資料から中国・旧熱河省出身の劉鳳学さんとみられている。57年からの遺骨返還でも旧厚生省が劉さんの被爆死を確認し、遺骨を中国側に返還している。
 中国人犠牲者は第二次大戦中に強制連行され、三菱鉱業(現・三菱マテリアル)などにより崎戸炭鉱(西海市)などで働かされていた。治安維持法などで逮捕され、長崎刑務所浦上刑務支所(現・平和公園)に収容されていた際に原爆で死亡。犠牲者は33人だった。
 追悼碑は7月7日に完成したが、劉さんの名だけが、戦後に県警の死体検視名簿から漏れたことなどから長崎市の意向で刻銘できず、1人分だけ「空白」の状態となった。
 長崎刑務所は「文書保存期間の30年を過ぎたため恐らく書類は廃棄された。資料からは該当者を確認できない」と話している。
 同会の高実康稔長崎大名誉教授は「収容者を証明する資料が全くなくなることは考えられない。死者に礼を尽くすべきだ」と話し、今後も刻銘に向け活動する意向を示した。