映画『南京の真実』試写会レポート(K−K)

 チャンネル桜製作の映画『南京の真実』試写会に行ってきましたので、その時の模様と感想などを書いてみたいと思います。

 試写会の会場は、東京・有楽町の「よみうりホール」でした。このホールの客席数1100人あるとのことですが、映画が始まる直前にはほぼ満席となっていました。無料だったというのも、この大入りの原因の一つなのでしょう。客層は、中高年層が8〜9割程度という印象を受けました。
 午後5時30分から、舞台挨拶が始まり、チャンネル桜のアナウンサーの女性が司会となり、水島総監督ほか、俳優・女優たちが舞台に登り挨拶を行い、その後、衆議院議員山谷えり子氏、元外交官の岡崎久彦氏が舞台で祝辞を述べました。
 映画は定刻の6時から始まりました。

よみうりホール ホール内の模様
水島総監督 舞台挨拶

■映画の内容について
 映画の内容は、7人のA級戦犯土肥原賢二松井石根、東條英樹、武藤章木村兵太郎広田弘毅板垣征四郎)が、死刑執行が言い渡されてから刑が執行されるまでの24時間をどう生きたかを、花山教誨師の視点で描くものです。
 それぞれの戦犯達が、花山教誨師との面談を通し、過去の自分達の行為、残される家族たちを思い、死にどう向き合ったのかを描いています。
 花山信勝氏が巣鴨プリズン教誨師をしていた時のことを書いた著作である『平和の発見 巣鴨の生と死の記録』などが、おそらくは、この脚本の基となったのではないかと思います。
 そういう意味では、ストーリーとしては特別に奇をてらった部分はなく、全体的に平凡な印象を受けました。

 水島氏は舞台挨拶で、舞台セットに力を入れたと述べていましたが、確かにその通りでした。巣鴨プリズン内の様子、各戦犯たちの部屋も、それぞれ違う造りとなっており、相当、詳細に調べ、作ってあるように見受けられました。ただ、使っていた小物類、例えば戦犯たちが使っていた食器(おそらくアルマイト製)や、米軍憲兵がかぶっていていたヘルメットが、余りにも新品のように輝いているところは、リアリティー性に欠けるのではないかと思いました。

 また、俳優もなかなかの実力派ぞろいで、個々にその演技力を発揮していたように思われます。
 ただし、広田弘毅の妻(烏丸せつこ)と松井石根の妻(上村香子)が出てきますが、彼女達の演技力は別として、この配役は必要ないものだと思いました。ほとんど、これら女優たちが演じている部分は、ストーリーとは関係ない部分です。
 この配役の意図は、おそらくは、単なる「華」を添えるという意味だったのでしょう。水島氏は舞台挨拶で、エンターテイメント性を排したと言っていたと記憶していますが、その様な言葉に反し、このような配役をするところに、監督の俗っぽさを感じてしまうのは、私だけでしょうか?

 その他、気になった部分をいくつか書いてみたいと思います。

 まず、観ていて退屈だったのは、セリフが文章調だったことです。先ほど書いたように、このドラマのネタ元は、おそらく花山信勝氏の著書だと思われますが、このような資料に依拠することは良いとしても、もう少しセリフ廻しに気を配った方が良かったのではないでしょうか?

 また、戦犯たちの心理描写が平面的だったと思います。これも、依拠した資料に依存しすぎであることが原因なのではないかと思いました。せっかく、映画という手法を用いるのであれば、花山教誨師に見せなかった戦犯たちの心理的葛藤を、もっと踏み込んで描き出してもよかったと思います。
 ただ、この映画が右翼的心情を慰撫することを目的の一つであることを考えると、踏み込んで描くことより、表面的な「潔さ」を描くことの方が、目的に合致するのかも知れません。これは、右翼映画の宿命と言えるのでしょうか…。

 映画のところどころに、能楽の登場人物が出てきます。これは、最後の方で、処刑された七名の魂と符合して幻想的に表現されることになります。この部分は、この映画の中でも、独自性のある表現手法をとった部分で、水島氏も力を入れていたように思えます。観ていて、そのような意図は掴めるのですが、如何せんながら、映像の撮り方などは陳腐なものとなっており、奇抜な意図と技術力の無さとのコントラストが少々気になりました。

南京大虐殺否定論
 この映画の最も重要な点、つまり、南京大虐殺否定論を如何に表現したかを書いておきましょう。

 この映画で、南京大虐殺と関係してくる部分は、非常に少ないものでした。おそらく、合わせても20分に満たないものだったでしょう。

 まず、映画の最初の方に、東京大空襲、広島・長崎原爆の映像や写真を流し、被害の悲惨さを強調した上で、「原爆が落とされ、広島長崎三十万人が虐殺された日、戦後日本と「南京大虐殺の嘘」が始まった」という字幕が流されました。
 これは、アメリカは、大空襲や原爆の非人道的な行為を隠蔽する為に、より非人道的な犯罪行為として南京大虐殺が作られたという主張したいのでしょう。
 このような考え方は、江藤淳が書いた「WGIP=War Guilt Information Program(「日本国民に敗戦の事実を受容させ、各層の日本人に、彼らの敗北と戦争に関する罪、現在および将来の日本の苦難と窮乏に対する軍国主義者の責任、連合国の軍事占領の理由と目的を、周知徹底せしめること」『閉された言語空間』(文芸春秋・1989年))」につながる考え方として、ネット上でしばしば見ることが出来ます。
 しかし、一般的な南京事件否定論からすれば、南京大虐殺は中国が作り出したプロパガンダということですから、このアメリカ捏造説とは一線を画すものがあると思われます。 ただし、中国捏造説にしても、アメリカ捏造説にしても、学術的な実証性はほとんどないというのが現状ですので、いずれを主張したとしても、所詮は学問研究の成果というに値しない「否定論」でしかありません。

 次に、南京大虐殺について描かれているのは、花山教誨師松井石根との対話の中です。ここで、松井の発言として否定論が展開されます。これは、花山『平和の発見』の内容をそのまま語らせているようでした。
 ただし、花山『平和の発見』では、松井が、南京での日本軍の振る舞いを恥じていたこと、慰霊祭で部下の暴行行為などに対し泣いて叱ったことなどについては、まったく触れていませんでした※。否定論としては、非常に稚拙な手法だと思われます。 
※資料:軍人の発言に見る「南京事件
http://www.geocities.jp/yu77799/gunjin.html#matuiiwane

 松井の発言を引き継ぐ形で、否定論が展開されていきます。と言っても、字幕で「国際連盟で、中国は死者数を2万人と主張した」「中国政府は300回の記者会見を開いたが、南京大虐殺について何も語らなかった」などとお決まりの否定論フレーズを流した後に、東宝映画「南京」の映像、つまり「平和」な当時の南京を映した映像をひたすら流すというものです。さすがに、この程度のものを見せられては、閉口してしまいます。

 この映画で描かれている南京大虐殺否定論とは、この程度のものでした。これだけ大掛かりな映画を作りながら、本来の主題がこの程度では、悪く言うならば「詐欺」と言われても仕方ないと思ってしまいました。

 この映画の製作意図は、チラシによると以下のようなものだということです。
『誤った歴史認識に基づく反日プロパガンダ映画によって、「大虐殺」なる歴史の捏造が”真実”として、世界の共通認識とされる恐れがあります。「情報戦戦争勃発」ともいえるこの危機的事態に、私達は大同団結し、いわれ無き汚名を払拭し、誤った歴史認識を是正すべく南京攻略戦の正確な検証と真実を全世界に伝える映画制作を開始致しました。』(「南京の真実 第一部 七人の死刑囚」チラシより)
 この映画の目的は「南京攻略戦の正確な検証と真実を全世界に伝える」ことだということですが、しかし、この映画を見る限り、南京攻略戦の「正確な検証」も「正確な…真実」も伝わってきませんし、この映画を理解できるのは世界広しといえども日本人のごく一部だけでしょう。

 そういう意味では、この水島氏が監督を務めたことは、結果として良いことだったと思います。今後もぜひ、頑張って金銭と労力を浪費して戴きたいものです。